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海 外 批 評 の 要 約



1 《舞踏の教訓ー信じがたいほど見事な作品》
「素晴らしい、実に美しいイメージ。完璧な演技。
カヨ・ミカミの一挙手一投足には息をのまずにはいられない。
……安物の金ピカの衣装を着たり、裸になったり、あるいは灰の中を転げ回るというエロ・グロ、60年代の日本の前衛振付師たちは、舞踏であるということを知らしめるために様々な工夫を編み出した。だが、そんなものは必要ないのである。最早我々はそれで満足しない。
昨日上演された“とりふね舞踏舎”の公演『献花』は、我々の目の前でそのことを示した。これこそが舞踏である。」
(1993年6月29日 フランス・「L'est Requbilican」紙 Rachel VALENTIN)
2 薄暗がり舞台、 客席に金属音の音が聞こえる。無造作に流れる音楽は、募る不安をかきたててゆく。まるでボール紙を切り抜いて、すべての分厚さを取り除いたような白いシルエットがゆっくりと平らな平面を動き、流れるように歩く。地の底からの、暗闇と予期される顔……無表情な顔、非常に静かな、そして動きへの暗示が我々のはっきりしない驚きを吸い取っていく。デスマスク?情寂?しかし、『能』や『歌舞伎』の様式で表現されているこの踊り以上の、感情溢れる芝居を造りだすのは難しい。我々の素朴な好奇心は暗号の組み合わせで砕け飛んでしまった。
私はもうこれ以上、日本の魔詞不思議な動きに引き込まれないようにしたい。私はまるで、それらが自分のもののように感じる。いささか恐ろしい。
(1994年6月7日 ロシア・PERMI「STAR」紙より)
3 舞台で繰り広げられる動きは、 驚かせ、楽しませ、感動させ、そして仰天させた。これらは全て同時に押し寄せた。もちろん、伝統的なロシアの古典派で育まれている観客には、舞踏のパントマイムは異様である。しかし、好奇心をそそる。
……このわざとくずした動きの線の中に、クリブリャニエ(渋っ面をつくること)に似ているのですが、大変ふるくからある公理が隠されています。見慣れているものを見入ると、予期しないものが見え、単純なものに見入ると、複雑なものが見え、小さいものに見入ると、大きなものが見えるこの《芸術の黄金の公式》を思い出させてくれたことに対して、はるか日本からの客人たちに感謝します。
俳優たちは自分たちの芝居についてこのように話しています。 “あなたを鳥か女性を見るように、観察することができます”と。
私たちは劇場で、当方のエレガントな身ぶりで表されている、人生哲学の舞踏を見ました。そして、それは素晴らしかった。
(1994年6月16日 ロシア・「夕刊PERMI」紙)
4 日本で生まれた「暗黒舞踏」は身体の一大壮観ともいうべき芸術である。
とりわけ三上賀代の今回の講演『献花』は、内に向かう魂と外に向かう身体とが完璧なまでに統合された作品に仕上がっている。私が暗黒舞踏派の作品を見るは15年前アメリカで初演されて以来二度目になるが、その時と比較して、この派の舞踏は一つの型を確立るるあるように見える。しかし、初演で受けたあの暗黒をまさぐるような朦朧たる印象は依然として弱まっていない。ステージ上の三上の姿は異例なまでに鮮明であり、極端にまで集中されたエネルギーを感じさせる。過剰な舞台衣装を排除したおかげで、我々アメリカ人にとってもこの舞台は理解可能なものとなった。だが、いまだ親近感を感じさせるところまでは至っていない。この派の舞踏が表現しようとしているのは、人間の内部的衝動がわれ知らず身体外部に表出された際、それがとる形である。これがアメリカの現代舞踏と異なる点は、情感がそのまま身体化されたり劇的表現を伴わされたりしないことである。たとえ、三上が緊張の極限で身を震わせ始めたとしても、彼女は特定の感情を現在形で表現しているのではない。そこに見えるのは、彼女の身体を捉えて離さなかった憤怒の余燼がくすぶり続けている姿である。
今回の公演作品『献花』は、多数の出演者が登場するにかかわらず、基本的には三上のソロと言っていい。全体は7部に分かれ、それぞれ人生の各階段を暗示するタイトルがつけられている。しかし、内容は個人の生涯に限定されることなく、時は民族の先祖たちの世界であり、地上の俗世であり、さらには精神界である。そうしたタイトルがつけられたために、この作品が実際以上に写実断片的なイメージの連鎖とでも言ったもので、おそらくそれがこの作品のより正確な受け取り方であるに違いない。
登場した三上は舞台の闇をゆったりと横切っていく。上半身は地に平行に、両腕は固定したまま何も表現せずに……観客が目にするのは彼女の顔ではなく、一歩一歩の苦しげな歩みだけだ。こうして舞台をよぎるのに10分、前舞台で方向を変え、そして前と同じ道をたどって姿を消す。私の目には、肉体に閉じこめられた魂が、永劫の漂泊の旅を続ける姿のように映った。
次に登場した彼女は赤い衣装に包まれている。その顔はつんとしてとりつくしまなく、しかし時にはくずれおちそうになりながら歩いていく。その腰の振り方は奇怪なまでに蠱惑的だ。たとえて言えば、魚であることを夢見ているゾウの姿……それはまるで仏像を思わせるように真っ赤だ。これまでになくゆったりとたゆたいながら、女は体を浮き沈みさせる。それは私の目には、女が永遠に到達することのできない境涯に近づこうとして身をよじっているかのように見える。
(アメリカ「Village Voice」紙 Marcia B.SIEGEL)
5 《隠喩によって語られる日本の芸術》
日本の舞踏派の創始者・カヨ・ミカミの師である土方巽に捧げられた作品『献花』は、恋愛、欲望、希望、死後の世界などに触れながら自殺した彼女の友人の生涯を反映した作品である。作品は興味深い部分部分からなっている。この作品を見てこれらの事柄がほとんど伝わらないというのは、全く驚くにあたいしない。なぜならば舞踏が隠喩と概念の芸術であるからである。
舞台は、腰の曲がった老女のとぼとぼとしたゆっくりな歩みで始まり、次第にスピードと緊張感を増す。終わりに至るまでに、カヨ・ミカミは確かに非常に強く激情と救済という感覚を創出する。あまねく部分に鮮烈なイメージがあった。その中には、素晴らしいタイミングでずらした頭の崩れや、そこに相手がいて、ゆっくりと狂気のワルツを踊っているように腕をさしのべたり、ドレスに縫いつけられた金の鈴が彼女が足を踏み鳴らす度にちりんちりんと鳴ったり、白塗りの二人の従者がところところで膚を光らせるシーンがあった。圧巻は、軽やかなピアノ演奏による「愛の喜び」を妨害するハーモニカの不協和音……。「献花」は明らかに誠実な作品である。
(1994年11月12日 アメリカ「New York Times」紙 Jannifer DUNNING)
6 《三上賀代の百もの姿態》
見えるものの背後に潜む、霊、魂、あるいは情感などと呼ぶところの無形のものを表出させることはいつの時代でもあっても芸術の挑戦であり使命でもあった。その見えざる目標を求める人は希有でありまた尊重に値する。とはいえ、時々は束の間であるけれどそれを掴むものもいる。(いつも束の間なのだ)そして突然それを理解する。
それは観客の一人一人に、別にまたいろいろな瞬間に起きる。先日の木曜日に日本の三上賀代の「献花」を見たセントラル劇場の間にもそれは起きた。ボルヘスがエル・アレフで獲得したのと同じ方法(有限の言葉の内に存在する無限性を表現する)で、賀代は本質を暴くのに成功している。着衣と照明の巧みさと、彼女のたった一つの表現媒体である彼女の肉体を使って。 ……彼女は「子を抱く亡霊」というタイトルの幕から現れ、私たちを人間世界の外の次元に導く。この女の亡霊は自殺した後にわが子らを哀れと思い、彼らに近づきたいと願って、現世とあの代の間を行き来する。その足は地を掴み、身体と腕はあるいは地を這い、あるいは点を指してのたうつ。……続いて呆然としている観客の目に、赤いきものに身を包み、これから始まる神々のポジティブなエネルギーを希求する狂乱と解放の踊「鈴のついた蛇」を演ずる彼女が映る。
この献花という舞台は賀代本人と、夫であり作家、ディレクターでもある三上宥起夫によって創作、構成された作品で3人の舞踏家のコラボレイトにより演じられる死の世界の物語である。
日本の舞踏を創始した土方巽という先達に理論と実践を学んだ賀代はそのキャリアを越えて舞踏の最前線を突破したのである。 “芸術の本質はもう一つの概念を求めるところにある”と彼女は言い切る。セビーリァのセントラル劇場の観客の反応は日本の舞踏家の動きと表情に実際圧倒され、芸術の最前線は仮構の中にあると再認識させられたのである。
(1996年6月8日 スペイン「EL CORREO」紙 Rosalia GOMEZ)
7 これは我々が舞踏と呼ばれるものをセビリアで鑑賞する3回目の機会ということになる。しかも純粋なスタイルと強烈な印象を持つものであった。
舞台はやや退屈気味に開けたがそれは必要不可欠な始まりでもある。この踊の形態はダイナミズムと特徴的な動きで我々を引きつける。ゆっくりしたコントロールされた動きはその踊を理解させる重要なファクターである。
全き闇の中、右手の棺の中からエテールのような影が現れる。それは子を抱こうとする亡霊のように舞台を横切る。何もないまま現れないまま(そういう風に見える)、4分の1の時間が過ぎるが後にこれは次に来るものを理解させる布石であることに気づかされる。このパートには照明らしきものがほとんどない。裏悲しいまでの空気を醸すほどのさやかな光のみである。非常にゆっくりとした動きが彼女の苦しみを理解させられる。彼女のコントロールされた肉体がすべてである。文字どおり滝のような汗を流して賀代は陶然とした観客の前で炸裂する。音楽はクラシックピアノとチェロそれに日本の伝統音楽がミックスされたもの。舞踏の法に則り衣装が度々替えられる。続いてしばしば不快感を伴う痙攣のような動きを東洋の下着をつけて見せる。この幕の終わりに二人の全裸に近く白い粉で覆われた男が現れ、素晴らしい動きを見せる。混沌から高みへ一気にかけ昇る。私たちを目で掴む、磁石で引き込む。私たちは彼女の表情から目を離せないでいる。
最も印象的なシーンの一つに彼女が全身に鈴をつけて蛇のような衣装で演ずるシーンである。非常に効果的に使われる音楽と照明が舞台の上を駆ける。 46歳になるこの女性が休みない動きと羨むべき活力でこんなに長い間観客を高いテンションで陶酔させるとは信じ難いことである。
(1996年6月9日 スペイン「ABC」 紙 Africa Calvo)
8 三上は自らの芸術、舞踏で観客を熱狂させた この日曜日、日本の舞踏団とりふね舞踏舎のダンサーたちがその城壁の上で披露した踊りによって、フカヴァルディ―の古城は驚くべき魔術的、神秘的な空間となった。
(1999年6月23日 チェコ 「MF DNES」紙)
9 日本のダンサー三上賀代は、 日本の伝統演劇である歌舞伎のみならず、詩や部分的には仏教哲学をも受け継いだプロジェクトを作成した。彼女の基本的に「女のひとりダンス」は、自然のモチーフから得られたインスピレーションを基礎にしている。三上賀代は、その熟達した技巧に裏打ちされた作品の中で、自然の中のあらゆる要素にはそれぞれ神が宿っているという大前提を、見事な動きで受け止め表現した。彼女の芸術性への驚きと敬服で会場は満ち溢れ、日曜日のフカヴァルディ・ダンスの夕べの後半は三上賀代の独壇場となった。
(1999年6月22日 チェコ「KALTURA SVOBODA」紙)
10 日本から参加した「舞踏」は、見る者を異様な美の世界に引きずり込む。我々にとって、細かな動作の意味をことごとく理解するのはかなり困難だが、演者の動きに並々ならぬ修練が込められていることは、誰にでもおおよその見当がつく。三上賀代は、一人の人間の、苦悩に始まって歓喜にいたる道程を美的に描き出す。舞台上の色彩や小道具がさほど印象を残すことなく観客の脳裏を行き過ぎることはあっても、彼らが高揚した情感に胸を打たれ、演者の心の遍歴に思いを共にすることもなく会場を後にすることは、決してありえない。
三上の見せる「雄弁なる沈黙」とも言うべき演技は、見る者に圧倒的な力で迫ってくる。取り分け、折れんばかりに腕を回して激しく悶えることによって、胸中の悲哀、あるいは、沈思の静寂を下界に溢れさせまいとするあの瞬間に、彼女のあらゆる筋肉、あらゆる動作が、三上のまったき制御化にあることに我々は気づかなければならない。
ここにあるのは、完璧な調和の下に置かれた動作であり、身体的反応と情感と思考との三位一体化である。それは、演技を超えた、存在そのものであるとしか言いようのない、ある特権的な状態である。とりふね舞踏舎所属の二人の男性が共演し、彼女の演技を際立たせていることを付記したい。
(1999年8月20日 英国 エジンバラ演劇祭 「HERALD」紙 Mary Brennan)
11  献花(けんか)、寒(かん)立(だち)馬(め)
サミュエル・べケット劇場
TCD
日本からやって来た舞踏グループの「とりふね舞踏舎」は、アイルランドの舞台芸術家たちに特別の機会を提供した。それは、三週間の稽古を経た後に、当地で上演予定の舞踏作品に彼らを出演させるという、類のない企てだった。1959年に異色の作品をひっさげて日本のダンス界に登場した暗黒舞踏は、第二次世界大戦後の社会変動の産物であると同時に、それを産み出した社会への異議申し立て者としての役割を果たした。戦前の日本の舞台芸術家たちの多くは、ヨーロッパに留学して古典バレーやモダンダンスの技法を学ぶのを常道としたのだが、暗黒舞踏はそれとは一線を画して、能や歌舞伎や文楽などといった日本の伝統芸術の技法を採り入れることによって、暗黒舞踏一流の神秘的な芸術形態を創造した。そこには、西洋文化の基盤をなす純粋理性と数量的思考に対抗しようという意図が込められていた。
最初に上演された「献花」は、約1時間半に及ぶ謎めいた動作に満ちた作品である。主演者の三上賀代は、ここには疑いもなく煉獄があるとの印象を見る者に与えた。三上が演じたのは、若くしてこの世を去り、後に残されたわが子のことを案じて苦悩する一人の女性の姿であるが、そこに舞踏の本質が、絶妙の力をもって表現されていた。舞踏する者は、己を捨てて演じようとする対象に変身する。作品の随所において、三上は高度の身体的・精神的力量を発揮し、見る者に、人間の肉体は精気によってではなく、悲哀によって生動するという事実を納得させた。ある時は、機械仕掛けで舞台上を移動しているかと思わせるほど遅い速度で動くため、見ている者は苦痛を感じるほどであった。またある時は、演者自身もどうすることも出来ないと思われるほどの狂乱振りを示す。舞踏によく見られる白塗りの顔と白塗りの体は、破天荒な身振りとあいまって、死ぬに死ねない、生命を超越した巨大な力に翻弄される死体が持っている、不気味な印象を伝えることに成功した。
後半の作品「寒立馬」では、アイルランドの舞台芸術家たちが「とりふね舞踏舎」の舞踏家たちと共演した。タイトルの「寒立馬」は、日本の寒冷地帯で過酷な冬を過ごす野生馬にちなんで名づけられたものである。超スローモーの動きがあり、頑ななまでに形式的な身体表現があり、混沌たる振り付けと演出があり、演技者たちの極端なまでの顔面演技と捩れた顔の表情がある。舞踏は初めてというアイルランド側の演者たちも好演したと言っていいだろうが、日本側の演者たちにはとうてい及ばなかった。白塗りの顔と、絶え間なく変化する仮面のような顔つき。まるで顔さえが踊っているかのように見えた。
この貴重な舞踏の稽古と作品上演に参加したアイルランド側の演者の中に、プロのダンサーが一人もいなかったことは、いかにも残念である。舞踏を見ることは、自己の中の既成概念を突き崩すために役立つ。舞踏体験は、ホメオパシー療法(治療対象とする疾患と同様な症状を健康人に起こさせる薬物を、ごく少量投与する治療法)と同様に、服用した時期のずっと後になっても、その人の意識と感受性に影響を与え続けるだろう。私には、舞踏にはまることがどんなことになるのか思いもよらない。舞踏にはまるには、人並みでない根性を必要とするのだろうが、舞台芸術に本気で取り組もうとする人なら、見るだけでなく、もっと先まで行ってみるべきだろう。
(クリスティーン・マドン 「アイリッシュ・タイムズ」2004年2月21日)
12 滅びゆく亡骸(むくろ)の無限の悲しみ―舞踏が作り出す驚異の風景―とりふね舞踏舎サミュエル・べケット劇場で特別公演
 日本からやって来た舞踏グループ「とりふね舞踏舎」のお蔭で、タブリン市民はめずらしい公演に接することができた。彼らはサミュエル・ベケット劇場で三週間におよぶ集中ワークショップを開催した。そこに参加したアイルランドの劇場関係者16名の中には、トリニティ・カレッジの演劇専攻生も含まれていた。ワークショップでは、「献花」と「寒立馬」の二作品も上演され、中でも「寒立馬」にはアイルランド人も出演した。舞踏とは、第二次大戦後、敗戦によって損なわれた日本人の一体感を回復させ、戦争の惨禍を克服するために創造された舞台芸術の一派で、その所作は日本の伝統芸能である能の所作を引き継いでいる。
 「献花」では、幕が上ると女性のソロが、動くとも見えないほど緩々とした動作で舞台を行きつ戻りつする。踊り手は、舞踏の創始者・土方巽の直弟子だった達人・三上賀代である。そのあまりにも緩慢な動きにしびれを切らした観客が、席を立つ際に発した溜息が私の所にも聞こえてくるほどだった。その私自身はと言うと、見慣れない舞踏の所作に慣れるまでには、それなりの時間が必要だった。続く四つの場では、踊りのリズムが変り、三上が他のダンサーと共演する場面も何箇所か見られた。解説によると「献花」は、死んだ後、わが子を求めてこの世とあの世を往復する母親の様子を描いた作品で、古典能からテーマを借りたものという。私のように能楽に疎い者には話の筋がストレートには理解できなかったが、舞台が喚起したイメージには強烈なものがあった。大きな日傘を持ち七色の襤褸を纏った女が、明るい光の中で生まれ出ようと身をよじる場面などが、その一例である。やがて幕が下りる頃には、この作品をもっとよく理解できるようになりたいと願っている自分を発見した。
 次の「寒立馬」は、出演者が16名もいて見所が多くあったせいか、前作よりも取り付きやすかった。中でも、踊り手たちが一斉に大波のように動く中を、一人の踊り手はそれを横切って動き、もう一人はぴたりと静止している場面が印象に残った。どちらの作品においても、音が大きな役割を果たしていた。時には、抽象的な音の広がり、時には機械音、時にはクラシック、時にはポップスと、色とりどりの音が使われていた。
 舞踏において、踊り手はまったき自己放棄を目指している。そこでは、踊り手の肉体は、脆い空虚な抜け殻にすぎない。体全体が、あるいはその一部が、凍りつき、死に絶えた後に、必死で動き出そうとする。踊り手は自己のペルソナを訴えようともせず、特定の観念を伝えようともしない。踊り手が求めるのは、見る者の一人ひとりの中に、それぞれの主観的感情・思想・印象を引き起こす媒体となろうとすることのみである。踊り手たちの衣装は、観客が作品を自由に解釈する仲立ちとなっている。そこには、日常生活を連想させるものが一切なく、時には全裸に近いまでに踊り手たちの肉体を観客の目に晒す。わけても、己を捨ててひたすら身体を観客に晒す三上賀代の演技は、圧倒的である。アイルランド側の出演者も、魂を脱いた肉体が何を表現できるかを示す程度には善戦したと言ってよいだろう。同時に観客の側も、戦争という有無を言わせぬ力を超えたところに存在する光景を眺める機会を与えられた。そこにあるのは、滅びゆく亡骸たちがそれぞれに持つ、かけがえのない無限の悲しみの姿であった。
(リーカ・ジョークナイネン 「トリニティー・ニュース」2004年3月2日)



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